第2回デジタル座談会
テーマ『日本型雇用形態について考える』
第2回のデジタル座談会は、「日本型雇用形態について考える」という内容で議論をした。
●背景
デジタル競争力ランキングにおいて日本は27位、労働生産性の国際比較においても、OECD37カ国中21位と低迷している。
この低迷の原因の一端が日本型の雇用形態にあるのではないか、ということを議論した。
●日本型雇用の特徴
日本型雇用の特徴といえば、
・終身雇用
・年功序列
・企業内労働組合
があげられる。
これらは、大正時代にアメリカからもたらされたものであるが、現在では日本型雇用の特徴となっている。
この日本型雇用において、その問題の本質は「企業が従業員を解雇できない」という点にある。
●企業が従業員を解雇できないことによる弊害
1.世の中の環境変化に対応できなくなる。
環境が変わり事業の方向を変えたくなっても、旧来の専門家を解雇できないという問題がある。これは、企業においても日本全体にとっても同じである。
企業においては、環境が変わり旧来の技術や市場が陳腐化しても従業員を取り替えることが簡単でないので、変化に弱くなる。
日本全体においても、縮小する業界から成長する業界にヒューマンリソースを転換したくても、雇用が流動的でない現状では難しい。
2.従業員の給与が上がらない
従業員を解雇できないと、有能な人間を厚遇できない。結果、有能な人間は離職したり海外に流出したりしてしまう。
IT化は生産性を上げる。しかしながら、それによって人員削減することができない。だから企業は、ITで生産性を上げるよりも賃金カットに走った。
従業員の給与は上がらないし、経営者にとってIT化=コスト増、というイメージになってしまった。
3.人員を無理やり減らす策
人員を減らしたい。そこで、企業はブラック化する。左遷やいじめが横行し、鬱や自殺へと至る。
4.非正規雇用の増加
正社員は簡単に解雇できないので、非正規雇用が増加した。ほぼ同じ仕事をしているのに報酬も福利厚生も差があるという歪みが生じた。
5.企業のダブルスタンダード
本来企業の使命は利益追求のみである。しかし、日本の企業は雇用の受け皿という意味で一種の社会保障の役割を担っている。これを経営福祉主義という。
企業は、利益追求と社会保証という、相反するスタンダードのもとにある。
企業が社会福祉を担っているから生産性の低い企業を退場させることができず、硬直化してしまっている。
6.管理人員の増加
営業や研究開発など、その企業においての主力となる部門がある。そこで使えない人員を解雇できないので、行き場のない人員が生じる。これら行き場のない人員が管理部門に異動する傾向がある。結果、管理業務の肥大化、こだわりの管理業務につながり、DX化・ERP化が進まない。
7.こだわりの管理業務
どの企業も(特に大企業で顕著だが)、複雑な管理業務を抱えている。ERP等導入時にも膨大なカスタマイズが入る。管理業務に生きる人員は、旧来システムと同じ機能を求める傾向が強くERPに合わせて管理業務を標準化することができない。結果、ますます代替不可な人員の温床になっていく。
8.転職不可能な人員の増加
正社員は解雇できないが異動はできる。社内の部署を転々とした人員は、企業内のゼネラリスト人員となる。これは、企業内では有用な人材であるが、ある分野の専門家ではないから、一般社会では通用しない。つまり、大企業のマネージャーをやった実績があっても市場価値がないということである。
また、企業内ゼネラリストは多能工ではあるが、実質素人集団ということもできる。だから、情報システム領域において要件定義や基本的な設計がままならない。
●ディスカッション(1)
ここまでの背景を踏まえて議論を行った。
解雇規制が緩和される動きはあるようだが、しかしながら現状すぐに変わることはないだろう。この状況を踏まえて働き方を変える方策は、どのようなものがあるだろうか?を議論した。
・雇用の流動性
日本は雇用の流動性が低いわけですが、これは日本人の気質でしょうか?
特に江戸時代に生じたのでしょうか、「忠臣は二君に仕えず」というメンタリティが根強い気がします。個よりも組織全体を優先するという気質、これが日本人のDNAにあるのかもしれません。
では、日本人は変化に弱い国民性なのか、という点も気になります。
これは、歴史的に見ると決してそうではないと感じます。日本は、外国の影響を受け臨機応変に文化を変革してきました。
ただし、これは変化許容性というよりも、大きな流れに身を任せる主体性のなさとも考えることもできます。
・今の学生について
やはり、今の学生においても終身雇用で一生涯企業が面倒を見てくれるということは安心と感じているようです。
対してアメリカでは、学生時代から実力主義になっていて自信を持っていると感じます。
大学の教育についても、日本では企業が必要としているそれではないように感じます。だから、企業に入ってからの教育が重要になってきます。
現代の日本の若者は、就職に関してジョブ型雇用というような新しい雇用形態についてどう思っているのか気になります。
・ジョブ型雇用について
ジョブ型雇用とは、仕事を明確にした上で、人に仕事を割り当てます。
原則として、そのジョブで雇用された人は、異なる仕事への異動が行われません。対して、日本の雇用形態はメンバーシップ型と呼ばれ、人に都度仕事を割り当てます。異動にも従わなくてはなりません。
アメリカでは、もちろんジョブ型なのですが、しかしそもそもジョブ型という言葉自体がないくらい当たり前な話です。
日本でジョブ型雇用を導入したい動機は、年功序列型の日本の雇用において、ベテラン層の人件費の抑制なのかもしれません。
しかしながら、ジョブ型雇用が日本で根付くためには、やはり今回のテーマのような解雇規制が緩和されなくてはなりません。アメリカのプロジェクトにおいては、PMがメンバーを解雇することも可能です。
また、アメリカでは、多くの人が自己研鑽に励みます。だから資格ビジネスも盛んになっています。このような資格は企業間をまたがって有効になります。
さらに、日本でジョブ型雇用が根付くためには仕事が明確になっていなくてはなりません。このあたりが疎かだとジョブ型雇用は失敗するでしょう。
社内ローテーションで教育しているといっても、それだと社内限定のスキルになってしまいます。
日本でも職責によって報酬の体系を変えることはできるでしょう。もちろん成果とセットです。このとき、できなかった場合に解雇という選択肢だけではなく、別ポジションに就くことでもよいと思います。
もちろん、これは特定の企業だからできる、ということではないと思います。
しかし、多くの日本の企業で適材適所を実現できているわけではないですが。
解雇規制が緩和され、できないと解雇される企業に人が集まるか、という問題もあると思います。
全般的には年功序列が問題なのでしょう。できる人材に厚遇する体制ができればいいのではないでしょうか。
その中で自分自身が自立していくことができればいいと思います。つまり、入社しても努力しなくては上に上がれない仕組みです。
そこで、やはり実力を測るジョブディスクリプションがないといけません。
これは、もの作りのあり方が影響しているかもしれません。
日米の比較ですと、日本のもの作りは「すり合わせ型」、対してアメリカは「組み合わせ型」といわれています。
日本は、多くの人員・部署が柔軟なすり合わせを行って全体最適をする傾向があります。
このようなすり合わせ型だと、そもそも仕事が明確になりません。ましてや評価もままならないでしょう。
組み合わせ型アーキテクチャは、個々人の役割が明確になっています。だから、仕事は、その成果や評価も含めて明確です。自分のやるべきことが明確だからこそ、個人は自己研鑽します。
日本企業は確かにすり合わせ型です。さらにライン組織と上意下達もあります。しかし、企業の業態によってジョブ型にできるところもあるでしょう。
現在日本の企業は、入社時にどこの部署に入るかわからない状態なのも問題です。
また、事業部門に所属することになって、そこでIT導入に関与することになったとします。しかしながら、ITに関する要件定義や基本設計などに関することは、ジョブディスクリプションには入っていないのです。だから、この辺りがままなりません。
・日本と海外のマインドの違い
日本人は、歴史的に海外の文化を受け入れ変化をしてきました。しかし、これは単に流されているだけなのかもしれません。
アメリカでは、人に使われるよりは使うことを強く望んでいます。つまり、自身がイニシアティブを取ることが重要と考えているわけです。
また、中国でも同じです。中国の学生の多くは自身で会社を経営することを目標としています。そのために大学に行くわけです。もちろん、自己研鑽もします。
しかし、成功できなかった人のためのセーフティーネットがアメリカではありません。ただし、ヨーロッパではあるようです。しかしヨーロッパでも基本は自立なのですが。
これらのマインドが、日本には希薄です。
40~50年前、日本においても将来社長になりたい、なれるのでは、と思う気持ちはあったように思います。
今は殆どの学生は欲がなくなった気がします。
しかし、これは人生を生きるにおいての価値観が変わったのかもしれません。これは、成熟とも言えるし、ハングリー精神の欠如とも言えそうです。
ただし、個人ではいいかもしれませんが国全体をマクロで見たときに勢いが確実に落ちているといえます。これを国家がどう考えているか気になります。
・専業禁止
個人の生き方と企業のあり方において参考になる事例として、専業を禁止しているものがありました。しかも、それにより業績も向上しているとのことです。
これも一つのあり方かもしれません。
一つの企業にいるとその中の常識しか育ちません。副業でも社外の研究会でも人材育成に効果があります。
ダイバーシティにおいても、他者の考えを知ることが重要です。企業において、自社の業務の最適化は、ある意味やり尽くしている。変化するためには異なる考えを取り入れるべきなのでしょう。
これでは、トランスフォーメーションができません。
●ディスカッション(2)
ここからは、DX、特にその中において、トランスフォーメーションすることについて議論した。
・DXについて
DXにおいて重要なのはトランスフォーメーションです。従来的な単なる業務のIT化はDXとはいいません。
具体的なDX化した姿を考えてみます。
例えば教育に関するエドテックを考えます。現在の学校教育は、集合教育が前提になっています。しかし、遠隔学習が可能になれば、実技系の科目以外では、遠隔授業が可能になります。とすれば、自分が所属する学校の教師から教育を受ける必要がなくなり業態が変化します。これが、デジタル技術を使ったトランスフォーメーションなのでしょう。
企業においても、解雇規制が緩和されると抱える人員の数は最小限でよくなります。
さらに、現在、仕事の2/3はプロジェクトといわれています。プロジェクトとは1回きりの仕事です。であるならば、その都度人をアサインすればよいでしょう。
その企業と人とをつなぐ機能はITが得意とするとことです。
このように、単なる仕事のIT化ではなく、業界や企業のありかた自体を変革することができなければDXとは言えないと思います。
これは、もちろん国家が主導すべきことです。国家は、インフラを整備し、その上で自由な競争が活発に行われるようにしなければならない。
ただし、企業に応じたDXもあるでしょうし、改革には痛みも伴います。その中で変革後のあるべき姿も見据える必要があるのでしょう。
アメリカではプロジェクトにおいて、PMが人事権を持ちます。であれば、人事部門の機能も変わります。このあたりも変革後の姿でしょう。
そのような中で企業のリーダー、ビジョンが重要になります。そして日本では企業の現場の人たちの力量が高いことも特徴です。そしてこれは、ある意味、リーダー・ビジョンというものが弱いとも言うこともできます。これは、すり合わせ文化とも密接な関係もありそうです。
リーダーというものは、誰もが成れるというものでもなく、その必要もないです。日本では、すり合わせ文化の中から自然発生的にリーダーとなりますが、アメリカでは、リーダーとなる人材は徹底した教育によって育ちます。
もちろん、DXに卓越したリーダー・ビジョンは必須なのです。
・アジャイル
アジャイル開発方式は、日本においては遅れています。そして、アジャイル開発は、現場のプログラマやユーザが、すり合わせの中でプロダクトを成します。
アメリカでは、ほとんどがアジャイル方式でありますが、つまりこれは、アメリカでもすり合わせ型で仕事が行われているということです。
違いは、やはり強いリーダーの存在なのかもしれません。それは、プロダクトオーナーであったり、経営者であったりします。
それと、日本においてはベンダー丸投げ体質などの要因で、アジャイルが促進されていない状況です。
また、日本の経営者は、デジタル音痴が多いと言えるでしょう。すり合わせ型組織の中で、人事的に勝ち上がってきた人か、オーナー社長です。
DXという言葉も含めて、流行っている言葉に頼っているように感じます。
それが、自社のビジネスモデルやあり方を変えるものという意識が希薄なのかもしれません。
DXを本当に実現するならば、トップのフォースは必須であり、現場力だけでは限界があります。
環境に応じて業態を変化させることは必須です。そのときにアジャイル方式は有効です。なぜなら、小さく失敗をするからです。どんなことでも、変化するにおいてすぐには成功しません。大きく構えて失敗すると痛手です。アジャイルの本質の一つは、小口化です。トライもエラーも小さくすることで舵の方向を見極めやすくなります。
良い製品を作ることは、日本も得意とするところです。しかしながら、ニュービジネスモデルの創出は、現在ほとんどアメリカです。アジャイルという方法論の前に、ビジネスの創出・変革というアイデアが日本からあまり出ないことが問題です。
・社会システムの若返り
生命システムは細胞からなっており、それが細胞分裂することで新陳代謝します。
社会システムは、その構成要素が企業や人間などです。社会システムが若いというのは、その新陳代謝が激しく行われている状態をいいます。企業は多産多死するくらいのほうが良いのかもしれません。企業が雇用の受け皿であり、経営福祉主義をとっていると、多産多死で高新陳代謝な状態にはならず、社会は老化の一途をたどることになります。
また、日本人はリスクを嫌います。可能性にチャレンジするほうが期待値は高いにも関わらず、そうしない傾向があります。これも社会システムの老化の一因でしょう。
・企業と労組
企業の向かう方向性を、経営と労組の間でもっと議論するべきでしょう。
企業をどの方向性にもっていくのか、経営も労組も個人も、はっきりしたアイデアが出ていないのではないでしょうか?
企業も労組も正社員も、今の状態を維持することを是としてきました。
そのような中、非正規社員が増えました。その報酬は半分くらいでしょうか。もし、仕事の質も半分なのであれば、生産性が落ちることは当たり前です。
この状態を打開するためには、企業の退場も辞さないと考えるべきでしょう。
以上、第2回 デジタル座談会の議論内容でありました。
(ファシリテータ 熊野憲辰)