第12話:靴に足を合わせろ

靴に足を合わせろ

翌日5月1日(水曜日)、部下の古田から要件定義ミーティングの顛末の報告を受けた販売部長の高橋は、すぐに、情報システム課長の佐々木を呼びつけた。
高橋は、これまで何度か記したように、ただの販売部長ではない。この「呉服の桐生」を三代目社長とともに、ピーク時には年商600憶の規模に築き上げた名実ともに大番頭であり専務である。
その高橋からの呼び出しを受けた佐々木は、高橋からこう尋ねられた。
CRMプロジェクトは、うまく行っているのか?」
「なかなかプロジェクトメンバーの都合がつかず、要件定義がまとまりません」
佐々木は、あなたも確かプロジェクトのメンバーでしたよね、と口まで出かかった言葉を飲み込みながら、
「日比谷ソフトウェアも着物業界へのCRM導入は初めてらしく、この業界のAs-Isを理解してもらえません」と続けた。
「それなら、あの女性プロマネを代えてもらったらどうだ? 生真面目なのはわかるがどうにも杓子定規というか、融通が効かなさそうだ。日比谷ソフトウェアなら、ものわかりのいいベテランは、もっといるんじゃないか? この間の加藤さんにでも、あたってみてくれ」
「そうですね。打診してみます」
「ところで、佐々木」
「はい」
「その、アズイズって、なんのことだ」
「えーと、As-Isというのは、現状の業務やデータの流れを把握すること、というような意味です」
「ほう、そうかそうか。うんうん。じゃ、あとはよろしくな」
高橋はそう言って佐々木に右手を振って、エレベーターホールの方につかつか歩いていった。
佐々木は、気難しげな前田の顔を思い浮かべながら、キックオフの宴会の場で高橋と加藤が一緒だったことを思い出した。
(加藤なら、『大人の対応』をしてくれるかもしれない)と思い、加藤のメアドを確認し、相談があるので5月9日(木曜日)に高崎に来てほしい。ただし、前田抜きで、というメールを出していた。
加藤は、佐々木からの相談のメールを受けて戸惑っていた。おそらく先日(4月30日)の定例会議の場での販売部の古田と、前田のやり取りに対してのクレームだろう。
(だが、最上流工程の話であり、プロジェクトが何を目指していくべきなのかについて、お客様の中で意思統一を図るのは、佐々木の役目のはずだ。だが、今度のシステムも、日比谷ソフトウェアを信頼してすべて任せているんだから、万事うまくやってくれってところか・・・)
5月9日(木曜日)の午後14時、加藤は、一人で佐々木を訪ねた。
佐々木の言葉は、予想よりも直截的なものだった。
「前田さんを今回のプロジェクトマネージャーから、外してもらえませんか?」
「いったい、なぜですか?」
「実は販売部の方からクレームが来ていましてね。受け答えが、生真面目というか堅過ぎて、どうにも話にならないそうです。彼女は、仕事のやり方をパッケージソフトウェアに合わせて変えろ、という趣旨のことを話されていました。長靴に足を合わせろ。これは、戦時中の日本軍が、兵隊に言った言い方そのものですよ。SF1はアメリカでも一番売れているCRMソフトウェアなのかもしれませんが、ここは日本ですよ。アメリカじゃない。もっと融通を効かせてくれる人じゃないと困りますね」
ここで、加藤にしては、珍しく反論した。
「しかし、彼女の言っていることは本当のことです。せっかくCRMのベストプラクティス・ノウハウが詰まったパッケージを使おうとしていながら、カスタマイズする部分を増やせば、桐生さんがSF1を選んだメリットが少なくなってしまいますし、お約束した納期やコストも守れなくなってしまいます」
「とにかく、女じゃ駄目なんだ。そう上が言って私も困っているんだ」
「それが、前田を外す理由ということでしたら、ここで承諾できかねます。ご承知の通り、本プロジェクトは請負契約ですから、要員のアサイン(配置)は弊社の責任で行う取り決めです。その上で、現時点における体制図の変更には、ステアリングコミッティの承認が必要なのはご存知のはずです。そして、佐々木課長」
加藤は一呼吸置いた。
「私がついていますので、もう少し前田のことを見守ってやっていただけませんか?」
「私はただ、加藤さん、あなたがやってくれると、上も安心してくれる、と言いたかったんですよ」と佐々木は弁解した。
(この人も組織の中で板挟みになり、人知れず苦労しているんだろう)と加藤は思った。

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