第9話:気難しい人

気難しい人

その日の午後6時に、一行は高崎市の繁華街の一角にある、割烹たけうちに到着した。
割烹たけうちは、このあたりでは名の通った食事処で、店の前には大きな桜の木がある。ちょうど桜の季節で、もう少しで満開である。
この店は「割烹」という名前を冠しているが、実態はほぼ居酒屋であった。
懇親会出席者は、先約があって席を外した藤四郎を除く、キックオフミーティングの7名に加えて、プロジェクトメンバーで、販売部と直販部に接点がある業務部業務管理課 課長代理の三上昴が合流することになっていた。
直販部長の新井重雄が前田の年齢にも配慮して、キックオフミーティングの後で、前田とほぼ同年代で、業務部門側の調整役である三上昴に懇親会に参加するように声をかけたのであった。
懇親会の会場は、割烹たけうちに3つある宴会場のなかでも最も整った部屋で広さ20畳以上はあった。その部屋の真ん中に4席どうしが向かい合うテーブルが設けられていた。8人の懇親会には広すぎるが、呉服の桐生は割烹たけうちのお得意様ということで、店側の特別待遇なのであった。
懇親会は、前社長の桐生又三郎にも仕えていた大番頭、高橋の乾杯の音頭から始まった。「今回は当社にとっても大事なプロジェクトです。日比谷ソフトウェアの皆さん、一つよろしく頼みますよ。それでは、乾杯!」
(高橋さん、キックオフミーティングで退屈そうだったのにな)と、加藤は思いつつグラスのビールを飲み干した。
キックオフミーティングという節目のイベントが終了したことに加え、桜がほぼ満開という時節柄もあり、皆が打ち解けるのには時間がかからなかった。
懇親会が始まって1時間もすると、3つのグループに分かれていた。
販売部長の高橋忠孝、日比谷ソフトウェアの山本孝夫という重役グループ。
佐々木、直販部長の新井重雄と加藤という管理職グループ。
それと、三上昴、前田、そして桜田譲のスタッフグループである。
「前田さんは今までにもこのようなプロジェクトのマネージャーをしたことがあるの?」と三上昴がたずねると、前田は、
「サブシステムのリーダーをしたことは何度かあります。でも今回のような全体のマネージャーは初めてなんです」と不安げな表情を浮かべて答えた。
三上昴は年下の前田が、ひとつのプロジェクトを率いるような役割を任されていることにかなり驚いていた。
「あの、佐々木さんって、難しい人でしょう?」と、前田は三上からたずねられた。
前田は意味が即座に理解できず、「難しい、って?」と声を抑えて聞き返した。
それに対して三上昴は、
「社内でもあまり評判がよくなくて・・・。部下ともうまくいってないから・・・。」と言うと、前田は返答に困り、
「そうなんですか」としか答えられなかった。
この話題はこれ以上進まなかったが、前の週に佐々木の件で加藤が心配していたことを思い出した。
仕事の話はそれくらいで、三上と前田、桜田は三人とも通っていた大学が東京にあったことなど、いくつかの共通点があり、話は盛り上がった。
午後9時前には懇親会がお開きになった。好みの銘柄の日本酒を調子よく飲んだこともあり、高橋は上機嫌であった。

翌日4月4日(木曜日) 午前9時、日比谷ソフトウェアのシステム開発3課に、前田は午前8時前には出社していた。
いつもなら午前9時過ぎに出社するので1時間以上も早く出社したことになる。前日のキックオフミーティングと懇親会の御礼のメールを呉服の桐生の関係者に送るためである。
これまでのプロジェクトでも、このような御礼のメールを発信したことはあった。しかし今回のプロジェクトでは実質的なプロマネであるため、会社を代表してクライアントに発信するという「重さ」を感じる御礼メールであった。したがって、文章を書いては直して、の繰り返しで、全体を完成させるのに1時間もかかってしまった。特に敬語表現にはまだ苦手意識がある。
メールの宛先には、桐生藤四郎、高橋、佐々木、新井の他に懇親会から出席した三上昴のメールアドレスも忘れなかった。日比谷ソフトウェアの関係者をCCに登録した後で、念のためもう一度全体を読み直し、緊張して「送信」ボタンを押した。
その瞬間、一気に疲れが出て、前田はリフレッシュルームにコーヒーブレイクに向かった。
席を立った前田のパソコン画面にしばらくして、メールの着信通知が表示された。三上からの返信メールだった。

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