第4話:3社コンペの行方

3社コンペの行方

2018年10月下旬、佐々木のもとに、新宿電気の営業担当から「今回にコンペにあたって、事前にRFP(提案依頼書)を提出していただきたい」という要望が入っていた。
佐々木は、RFPやRFIの意味は知っている。しかし自分でRFPを書いたことはない。
(朝日製作所の営業に書いてもらうか。朝日とはこんなときのための付き合いだからな)。そう思いながら机の電話で、朝日製作所の担当部署へ電話をかけた。
朝日製作所の営業担当者である上泉達也を呼ぶと、CRM導入のRFP作成について相談した。そして小声でこう付け加えた。「私としては今回、朝日製作所さんにお願いしたいと思っています。御社の持っている製品や、御社の強みが引き立つような質問内容にしてもらえませんか」。
それを受けて朝日製作所の上泉は「承知しました。こちらもそのつもりでやりますので、何卒よろしくお願いします」と耳打ちした。
上泉からもらったRFPたたき台を受け取り、佐々木は喜んだ。これなら上役に見せても問題ない。佐々木は、水沢の確認を得てから、朝日製作所、日比谷ソフトウェア、新宿電気の各社へRFPを送付する旨を連絡した。
ただ、ここで冷静に考えれば、このRFPには、呉服の桐生におけるCRMシステムに必要な要件が書かれていなければならない。その必要な機能とは、呉服の桐生自身のビジネスモデルや業務の姿に基づくものに他ならないことは、自明であった。
2018年12月3日。もっともらしいRFPに基づく提案書を三社はそれぞれ携えて、呉服の桐生本社でのプレゼンの日を迎えた。
この日は冬晴れで、白衣観音の向こうに、浅間山の冠雪が美しく映えていた。
プレゼンのトップバッターは、朝日製作所だった。同社が担ぐCRMは、大手外資系ベンダーパブロフ社のパッケージソフトウェア「ルーブル」である。朝日製作所は、提供するソフトウェアの品質に絶対の自信があることを前面に押し出した。スマートフォンやセンサーデバイスなど、様々なデジタル機器から自動的に収集されるデータも集約し、顧客分析に活用できる先進性を織り交ぜてプレゼンは進んだ。動作環境は、クラウドとオンプレミスどちらにも対応する。価格が高いことがルーブルの難点だが、その企業の要望に合わせて、データを入出力する画面や帳票の表記、計算ロジックなどのカスタマイズが行えるので柔軟性が高い、と担当者はアピールした。佐々木としても、朝日製作所とパブロフ社の組み合わせであれば申し分ない。導入にあたって何ら支障はないだろう。
次に登壇したのは、日比谷ソフトウェアだ。日比谷ソフトウェアは、シリコンバレーに拠点を置く成長著しいベンチャー企業、サイエンス・テクノロジー社のパッケージソフトウェア「SF1」を推奨した。このSF1は、グローバル企業のベストプラクティスをフレームワーク化しており、業容に合わせてパラメータの設定変更することで迅速に対応することができる。また、必要に応じて、個別企業向けに改修するカスタマイズも可能だ。クラウド上にあらかじめ用意されたモジュールを組み合わせることで、将来の事業拡大や利用者のニーズの多様化に合わせてシステムを構築・拡張可能、という触れ込みだった。洋服で言えばセミオーダーのようなものだ。ただし、カスタマイズが増えればその分、開発に時間がかかる。その意味では、あくまで基本機能の利用を前提としたパッケージソフトウェアだった。
最後のプレゼンは新宿電気だった。新宿電気が担ぐ、大手国内コンピューターメーカーのハードウェア製品の導入を前提としたシステム開発提案だった。そのハードウェアの性能と、自社が培うソフトウェア開発技術手法を組み合わせて、呉服の桐生のビジネス要件、システム要件にあった仕組みをすべてオーダーメイドで開発する、という提案内容だった。着物をその人の身長や体格に合わせて、あつらえるようなものだ。洋服で言えばオートクチュール。うまくいけば呉服の桐生の要望にマッチした情報システムができるかもしれない。ただ佐々木は、新宿電気の提案内容では、予定された期間内に、本当に要件定義が終わるのか、疑問が残った。また、完成したとしても、これから5年先、10年先を考えると、時代の波に遅れてしまう気がした。これからはクラウドサービスを利用して、なるべく早期に運用を開始できるようにするべきではないか。
翌12月4日(火曜日)、臨時役員会議が開催された。前日の三社によるプレゼンを受けて、機能や費用対効果などの比較、CRMソフトウェアの選定がなされる予定だった。
ところが、会議の冒頭、社長の藤四郎は「日比谷ソフトウェアが提案したSF1を採用する」と結論付けた。
「SF1は機能不足がなく、プレゼン内容もわかりやすかった。また価格面でも妥当と思う」と藤四郎は淀みなく言った。
臨時役員会議で事務局側の席に座っていた佐々木は茫然としていた。佐々木の筋書きでは、水沢部長が経緯を報告した後、コンペに参加した各社提案の比較検討事項を佐々木が補足説明し、「朝日製作所を選定する」旨を発表する予定だった。藤四郎の周りを固める各役員には、事前に根回しが済んでいる。
(しゃしゃり出てきた高橋のせいか・・・)
ただ、悲しきサラリーマン稼業、社長の鶴の一声には逆らえない。あとの祭だ。会議後の休憩時間に佐々木は、会社の外に出た。本格的な冬の到来を告げる冷たい空気が身に沁みた。

2018年12月5日(水曜日)、日比谷ソフトウェア社内は湧いていた。呉服の桐生から発注依頼があった時、ソフトウェア開発3課課長の宮沢寛(ひろし)は、大手の朝日製作所と新宿電気に一矢報いたぞ、と快哉をあげた。早くも、ソフトウェア開発事業部長兼常務取締役の山本孝夫を筆頭に、正式な契約締結に向けた作業は大詰めを迎えていた。
プロジェクトのスコープは、呉服の桐生の販売業務支援に関わるCRMソフトウェアのカスタマイズおよび導入である。開発期間は、2019年4月から2020年3月末まで。
SF1には、氏名、生年月日、性別、住所など基本的な顧客情報だけでなく、趣味や着物の着付けに関する経験の有無、勤務先、所有している車など、必要に応じて様々な情報を入力することができる。顧客の住まいや勤務先、所有する車などの種類から、顧客の所得が推定できる。家族構成を手がかりに商品を提案することも可能だ。提案に基づくダイレクトメールの発送や、新たな商品やサービス開発につながるアンケート調査に基づいたデータ分析機能も備わっていた。
顧客に関する情報を入力するため、どのようなデータ項目が必要か、どのような業務部門の担当者がどのような手段でどのタイミングで入力するのか、などを決める上で重要なのは、導入する呉服の桐生側のビジネス戦略である。
マーケティングやSFAなどの営業支援系など他の業務システムと連携させるのであれば、データを受け渡しするAPI(Application Programming Interface)を含む追加開発が必要になる。このように、ビジネス構築、業務改善を遂行する上でステークホルダーが必要と考える事項すなわち要求(Needs)を整理し、それらの目的およびシステム構築のために必要な要件(Requirement)を固めていくのが要件定義工程である。
定義された要件を元に、システムの設計、開発が行われる。テストを経て、既存または外部のシステムからデータを新システムに移行し、いよいよ本番稼働を迎える。
各フェーズ(工程)のスケジュールは、要件定義は2019年4月から5月末にかけて。基本設計・詳細設計は6月から8月いっぱいまで。そして9月から開発、テストと進み、CRMシステムの本稼働の開始は、呉服の桐生の新年度が始まる、2020年4月1日だ。問題対応期間として、スケジュールにはトータルで2カ月分のバッファが見込まれていた。

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