第3話:システム開発ベンダーの絞り込み

システム開発ベンダーの絞り込み

CRM導入に対する調査を行うように、藤四郎社長から水沢部長へ伝えられたのは、経営会議から2日後の2018年8月8日(水)だった。
水沢部長は自席に戻ると、総務部 情報システム課 課長の佐々木修を呼び出した。そして、CRMシステム導入決定の経緯を説明し、2カ月後の2018年10月をめどにその選定準備に取り掛かるようにと指示を行った。

1967年生まれで50代半ばの佐々木修は、呉服の桐生に入社以来、33年間システム部門一筋を歩いてきた。地元の大学で電気工学を学んだ佐々木は、卒業後、東京の大手コンピューター会社へ行く選択肢もあったのだが、地元で子供の頃から知っており、親の買い物に連れて行かれた呉服の桐生への就職を選んだ。次男坊である佐々木が地元に残ると聞いた両親は、喜んだ。
佐々木が大学在学中の1987年は、桐生が当時の電算室、今の情報システム課を設置し、コンピューターの導入を進めた時期と重なる。呉服の桐生での面接時に聞いた、コンピューターの持つ可能性にワクワクしたことを佐々木は今でも覚えている。就職後は、希望通り電算室に配属となった。その後、学生時代から付き合っていた妻と結婚し、娘が生まれた。佐々木は、高崎市の自宅で妻・雪枝と暮らしており、一人娘の希望(のぞみ)は東京で働いている。
佐々木が入社した頃、1980年代は、ハードウェアに付属する記憶ディスクは中華鍋のような大きさで、オフコンの本体はデスク2つ分ほど、事務室の4畳くらいを占有していた。CPUはIntel製になる前のメーカー独自仕様。当時、5.25インチのフロッピーディスクは最先端のリムーバルメディアだった。
その頃、佐々木の上司だった谷村課長は「これからは、事務処理用のプログラミング言語のCOBOLを使いこなせるようになれ」と言われ、佐々木はCOBOLでのシステム開発に取り組んだ。佐々木は学生時代に、BASICと当時の科学技術用のプログラミング言語であるFORTRANに触れただけで、最初の頃はCOBOLの宣言スタイルに馴染めなかったが、程なく慣れた。佐々木は内心、COBOLではそれなりの自信を持っていた。その佐々木は、総務部長の水沢からCRMシステムの調査を依頼され、情報収集に取りかかった。
佐々木も90年代後半に、CRMいう言葉が流行ったことは知っていた。ただ、主にそれは外資系ベンダーの製品だった。呉服の桐生の社内情報システム環境に馴染まない、というのが当時の印象だった。あれからおよそ20年が過ぎ、オンプレミスから、オンデマンドで利用できるクラウドサービスの利用へ、とITの技術トレンドは変わってきている。
前述のように、呉服の桐生では1980年代、朝日製作所製のオフコン導入を機に情報化を進めてきた。また、1990年以降については、独立系の情報システム開発会社である日比谷ソフトウェアが開発した情報システムを導入している。なお、日比谷ソフトウェアは、金融機関向けのデータ入力事業を柱として1980年代に創業した。売上高は当時100億円に満たない規模だったが、SESや受託開発を増やし、2017年度は250億円規模である。
佐々木は、谷村課長の部下としてシステム開発プロジェクトの交渉にあたってきたが、あくの強い営業担当者が多い日比谷ソフトウェアよりも、おっとりした雰囲気の社員が多い朝日製作所の方が付き合いやすい、という印象をその当時から持っていた。朝日製作所は現在、業界中堅から上位に位置する企業で売上規模は1.8兆円である。
水沢部長のもとでCRMの調査・導入準備を進めていた佐々木は、CRMは朝日製作所に依頼するつもりでいた。佐々木は、CRMの導入をきっかけにITインフラの将来的なクラウド環境の切り替えを見据え、このプロジェクトをその第一ステップに位置付けたい、と考えていた。
社内の情報セキュリティ強化も、長年の課題だった。これまで各部署の社員がエクセルシートやそのマクロリンクなどを用いて、独自の顧客名簿などを個人個人で管理していた呉服の桐生では、社員がファイルを誤って操作したり、持ち出したデータが入ったPCを出張先で紛失したりと、背筋がヒヤリとさせられる出来事が幾度も報告されている。情報管理に関するトラブルで、得意先に不愉快な思いをさせた時には、藤四郎社長自らが示談の先頭に立ち、なんとか表沙汰にならないよう丸く収めてもらったこともあった。そうした苦い経験から、社内の情報基盤を整備し、エクセルでの勝手なデータの管理を改め、勝手な閲覧や持ち出しを禁止する本人認証や、アプリケーション利用の認可の仕組みを設けて、一定の歯止めをかけたい、と佐々木は思っていた。
佐々木は、このプロジェクトでは、先進技術の知見が豊富で、新しい挑戦をリードしてくれるようなIT企業に進めてもらうのが、ベストだと考えていた。
ある一定規模以上の開発費用を投じるシステム開発の際には、社内では複数ベンダーによるコンぺが行われる。今回はコンペ開催基準に該当する見通しだった。そこで佐々木は、朝日製作所が受注する段取りになるように、いかに評価表を作るか思案を巡らせていた。
2018年10月9日(火曜日)、CRM導入に先立つ調査結果を佐々木は、水沢に報告した。
「今回のCRMを検討した結果、候補を3つに絞りこみました」。
佐々木が提出した資料には、朝日製作所、日比谷ソフトウェア、新宿電気の三つの社名と、それぞれが提供するCRMソフトウェアの名称が併記されていた。新宿電気は、過去に何度か、呉服の桐生のシステム案件で関わったことがある、いわゆるSIベンダーだった。2000年代は大企業システムのダウンサイジングを得意とした。新宿電気の売上規模は近年5,000億円程度である。
社内稟議を経て、三社コンペの日程が決められた。2018年12月第1週の月曜日(12月3日)である。呉服の桐生の参加予定者は、水沢、佐々木だ。
ところが、ここに販売部の高橋部長が「俺も出席する。それから社長にもCRM選定コンペに参加してもらう。桐生のこれからの業績を左右するシステム投資だからな」と言い出した。
普段このようなシステム関連のことには口出ししない高橋の発言に、佐々木は内心、驚いた。余計な口出しをされて、製品・サービスやベンダー選びがおかしな方向に行きはしないか、と不安がよぎった。ただ、会社の将来の成長に関わるから、という高橋の言い分も筋が通っている。ここで、高橋と対立するのは得策ではない。そう思い直した佐々木は「同席をお願いします」と答えた。
高橋は、ITやCRMシステムについて、詳しいわけではない。むしろ苦手だ。しかし、「顧客情報を社内で共有する」というフレーズに抵抗を感じていた。これまで販売部の営業担当者が、長年かけて得意先と築いてきた信頼の輪に、同じ販売部のライバル営業が割り込んで横取りしていくのではないか、足を引っ張るのではないか、という不安に駆られていたのである。販売部の営業担当者にとって自分の飯のタネを奪われることは脅威だ。いったい、なんのためのシステムなのだ、CRMというのは。そんなもの、総務部の連中に任せっぱなしにするわけにはいかない、と販売部を束ねる高橋は憤りを感じていた。

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