第4回デジタル座談会サマリ

第4回デジタル座談会

テーマ「『ブルシット・ジョブ — クソどうでもいい仕事の理論』 を読み解く」

デヴィッド・グレーバー著の本書は、完璧に無意味で、不必要で、有害である仕事について考察したものである。そして、そのブルシット・ジョブというのは、エッセンシャルワーカーなどの仕事ではなく、ホワイトカラーのそれである。

1.本書の概要

●ブルシット・ジョブとは?

被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の仕事。(このような仕事が全世界で40%を占める)

●ブルシット・ジョブの5類型

1. フランキー(取り巻き)
誰かを偉そうに見せるだけの存在。取り巻きなくして威厳なし。別名:封建的家臣。
威厳のある者にとって、おのれの周りにはべらせた制服を着た家臣の無用性こそ、自らの偉大さを雄弁に語るものに他ならない。
権力者の周りには、二重三重のイエスマンが必ず存在する。これらのイエスマンが、フランキーの典型である。

2. グーン(脅し屋)
ロビイスト・広報専門家・テレマーケター(電話営業)・企業の顧問弁護士など
彼らが社会に与えるものは、概してマイナスの影響。
広告というものは、概して脅しである。まるで自分が劣っているかのように錯覚させ、商品を買わせようとする。需要は人工的に捏造されるものだ。

3. ダクト・テーパー(尻拭い)
組織に欠陥が存在するために、その欠陥を解決するためだけにある仕事。一部のソフトウェア開発者など。保守や派生開発と呼ばれる仕事群である。

4. 書類穴埋め人(ボックス・ティッカー)
ある組織が実際にはやってないことをやっていると主張するための書類を作るだけの仕事。誰も読まないプレゼン資料や報告書などの書類を作ることに業務の大半を割かれるオフィスワーカーなど。
書類穴埋め人の地位が存在するのは、大きな組織のなかでは、ある活動がなされたことを証明するペーパーワークのほうが、実際の活動それ自体より、しばしば重要とみなされることが背景にある。

5. タスク・マスター(ブルシット・ジョブ量産人
もっぱら他人への仕事の割り当てだけ。
ある計算によれば、その〔勤務〕時間の少なくとも75%は、仕事の配分と、その仕事を部下がやっているかを監視することに費やされているという。
また、仕事の割当だけでなく実害をもたらすものもある。つまり、他者のなすべきブルシットな業務を作りだすことであり、ブルシットを監督することであり、まったく新しいブルシット・ジョブを一から作りだすことですらある。

●事例

本書には、ブルシットな仕事の事例がたくさん記述されている。ここでは、その詳細は省略する。興味のある方は本書をご確認いただきたい。
概要として、下記のようなものである。

  • 書類を作成すること自体が目的となってしまっている。作成された後は永久に忘れ去られる。
  • 「戦略的」「クオリティ」「ヴィジョン」などの言葉が並ぶミッションがある。そこでは、人員のパフォーマンスを定量化しようとする。これも、書類を作ることに忙殺され実際の仕事に取り組む時間を削減する。ある事例では、どれほど少なく見積もっても90%がブルシットであったそうだ。
  • 問題のある顧客と契約して、その問題を解決する企業がある。その問題はなかなか解決されず、ミスは繰り返される。
    マネージャの誰かが言ったこと。

「我々は水漏れしているパイプを扱うことでカネを得ているわけだ──で、パイプを修理する? それとも水漏れしたままにしておく?」
もちろん、金の卵を産むガチョウを殺したりはしない。

●社会的貢献(ソーシャルベネフィット)と報酬の反比例関係

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シティの銀行家は、彼らが1ポンド稼ぐとき、社会を7ポンド破壊している、ということである。そして、ブルシットな職種ほど高報酬である。
上記の低報酬な職種である、いわゆるエッセンシャルワーカーが世の中から忽然と消えたとしよう。すると、社会は破滅する。
小説家やミュージシャン、スポーツマンがいなくなったら、世界から色が消えるだろう。
しかし、高報酬なブルシット・ワーカーが忽然と消えたとしても、世界は何も変わらず、むしろ良くなる、と著者は語っている。
エッセンシャルワーカーは低報酬であり、芸術やスポーツを志した人はほとんど仕事がない。このような、世界で本当にいいのだろうか?

●ブルシット・ジョブは増殖している

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2015~2016のたった1年で、本来の職務の割合が減少していることがわかる。

●生産性向上による利益はどこに行く?

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上記の統計はアメリカ合衆国のものであるが、産業化したほとんどあらゆる国で同様の趨勢であるらしい。
生産性向上の利益はどこにいったのか?一般的に言われるのは、1%の富裕層(投資家・企業幹部・上位の専門的管理者階級など)である。
しかしながら、著者はそれだけではないと語る。
それは、本書で多くの事例をもとに語られるブルシット・ワーカーの創出である、ということだ。つまり、基本的に無意味で有害な専門的管理を行うホワイトカラーということである。

簡単に事例を示す。
とある企業では、職人である労働者が中心であり、ホワイトカラーは社長と人事担当の2人だけであった。その会社が大手企業に買収されたあと、背広を着た連中が7人増えた。
労働者というものは、機械や手順をあれこれいじり生産性を向上させる習慣がある。買収される以前は、その生産性の向上は労働者に還元されていたとのことだ。
買収後、生産性の向上に対して労働者への報酬は増えなくなった。新たな設備投資などもない。つまり、生産性向上の利益は、7人のホワイトカラーの懐に入っただけであった。

●まとめ

ある調査によると、アメリカにおいてこのようなブルシット・ジョブは、全労働の40%にもなるとのこと。
我々は、資本主義・市場原理・自由競争などの言葉のもと、経済合理性のもと行動しているはずである。しかしながら、気がつくと巨大な無駄を生産するシステムになってしまっているのではないか、ということを啓蒙する書である。
上述の説明や事例は、ブルシット・ジョブそのものの存在、その性質について抜粋したものであるが、本書では、何故このような世界になってしまったのか?では、どうすればいいのか?という内容についても語られている。
ご興味を持たれたら一読されたい。

上記、図表及び用語は、下記書籍より引用。
・出版社:岩波書店
・書籍名:ブルシット・ジョブ –クソどうでもいい仕事の理論
・著者:デヴィッド・グレーバー

2.ディスカッション

上記内容を踏まえて、参加者の皆様とブルシット体験や事例をディスカッションしました。

●大学での事例

大学の教員の主たる仕事は教育と研究です。しかしながら、昨今事務仕事が急激に増えている。それは、予算化やその妥当性の書類であったり、国や官公庁から提出を求められた資料の作成であったりです。教員は、このような事務作業に忙殺されています。まさにブルシットと言えるでしょう。
事務作業が増えた結果、週7日仕事をしていることもあります。そのうち4日は事務作業だったりします。
また、その事務作業は「形作り」だったりします。つまり、やっても意味の無いことなんだけど、やれといわれているから仕方なくやるという作業です。そのような作業が膨大になっており、結果、本来の仕事の手を抜くしかなくなります。
中学や高校の教師も同じ状況といえるでしょう。トイレの5分の休憩も難しい状況であると聞いたこともあります。

●銀行

銀行でも同じです。支店では本部の多くのセクションから、様々な書類の作成の命が来ます。しかし、支店のマンパワーは限られておりパンク状態になります。結果、やはり「形作り」となってしまいます。
世の中全体的に管理者が増えているわけです。そして、その管理者は、何かしなければならないと考え、ブルシット・ジョブを創出していると思われます。
そして、その管理者はエリートであり評価も高いのです。

●システム開発

システム開発もしかりで、よほど注意深く現場の利益になるように設計しないと無駄なものになりえます。
また、システム開発の現場では、いまだにテスト結果としてブラウザのスクリーンショットを貼り付けるような作業をしている人が存在します。証跡としての形作りであり、それは誰も見ません。
役所では、明治時代の方式で運用されていたりします。そのような中で、システム化するのですが、現場ではなく本部の管理者が要件定義をしたりします。しかし、彼らにはできません。更に、予算と期日が最優先となり、誰もその有用性を判断できぬまま施行されたりします。

●アメリカでは

アメリカでは、本書でいうところのブルシット・ワーカーが高給であることは事実です。しかしながら、管理者は、その仕事に対するKPIを明確に設定されています。KPIをクリアできなければクビになります。その点ではシビアです。

●働かないおじさん

無駄な管理や書類で、本来の仕事ができず多大な時間を取られている人がいる一方、いわゆる「働かないおじさん」といわれる人たちも存在します。これは、以前のデジタル座談会でも話題になりました雇用の問題も関係しています。
つまり、その企業において無用であっても解雇できない。だから、働かない状態で雇用だけをしているような状態になるのでしょう。

●ブルーカラーの実態

ブルーカラー職においては、日給で働いている人も多いです。彼らは雨が降るだけで収入がありません。そのくらい不安定で不安を抱えて生きていると感じます。
対して、高報酬なブルシット・ワーカーは、日本においてはクビになることもなく安定しています。ブルシットとわかっていてもしがみつくしかないのでしょう。
しかしながら、ブルシット・ワーカーは、その定義からもわかるように、自身の仕事に意味が無いことに自覚的です。結果、精神を病む傾向があるようです。

●何故このような世界になっているのか?

このブルシット化を仕掛けたのか誰か?という内容を著者は語っています。それによると、仕掛けたのか富裕層であるとのことです。
更に、「官僚制」というキーワードも関係していると思われます。
官僚制とは、大規模な組織や集団を支配・統治するための方法論です。
そして、その支配には2通りあります。一つが利害による支配であり、損得勘定に基づきます。もう一つは権威による支配で、命令と服従によって秩序をもたらします。
更に、官僚制は3つの特徴があるとされています。
一つは、標準化。規則は仕事のやり方を標準化することで職務の遂行をしやすくします。次に、階層性。大規模な組織を統治するには、ヒエラルキーが明確になっている必要があります。3点目は没人格性です。支配者も服従者も人が変わっても機能しなければなりません。属人性の排除というわけです。

●官僚制の逆機能

しかしながら、行き過ぎた官僚制は不具合を生みます。これを「官僚制の逆機能」と言うそうです。
具体的には、「訓練された無能」。環境が変化しているにも関わらず同じ行動パターンを繰り返してしまうことです。
また、決められた規則は手段であったにもかかわらず、その規則を遵守することが自己目的化することもあります。
他にも、先例踏襲・手続主義・創意工夫の欠如・過度なマニュアル遵守・縄張り意識などのキーワードが挙げられます。
このあたりの官僚制が持つ問題が、ブルシット・ジョブを生む原因ではないかと思います。
官僚的というと、それは官公庁や役所の仕事のイメージがあります。しかし、本書では民間企業も、特に大企業が逆機能に陥っていることを指摘しています。

●没人格性

没人格性という言葉は、人間性の疎外のようにも聞こえます。しかし、そうではなくリーダーが代わっても国や企業が機能しなくてはならないという話ですね。
官僚性という言葉は、ネガティブに捉えられがちですが大人数を統治するための方法論ということでしょう。

●人の個性

そうはいっても人には個性があります。全ての人がリーダーになれる、なるべきではありません。
また、人間には、人生のステージに合わせてその役割が変わってきます。ジョブは容易にチェンジできるようにすべきです。
このような、向き不向きの適合性を上げるためにも雇用というものは流動的であるべきです。
職業によっては、5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)を叩き込まれるものもあります。
このようなものは、異なる仕事に転職しようが常に役に立つものです。
官僚制の前提は分業です。5S技能ですら分業され清掃業務をアウトソーシングしたりしています。このくらいは自身で完結して遂行できる能力が個人個人に必要でしょう。

●エッセンシャルワーカーの報酬

エッセンシャルワーカーの報酬が低いということは身につまされます。ゴミの収集や清掃などにあたる人の報酬を上げるには、国の役割なのかもしれません。
もちろん、企業も同様で、泥臭い部分の仕事にフォーカスをあて、充分な報酬を与える経営者像が求められると思います。

●変化と改良

官僚制が不具合もあるが、全く悪いわけでは無いのでしょう。一度導入したルールや情報システムも、見直し改良を加え変化させることが重要でしょうね。

●著者の提言まとめ

本書の意義は、我々は合理的に行動していると思っているが実は無駄だらけ、という事態にフォーカスしたことにあります。
モノ作りは機械が行い、情報の処理はコンピュータが行います。
すればケインズが言ったように人間は、週に15時間しか働かなくてよくなるかもしれません。
そこで増えた余暇を使い、芸術を愛で、スポーツをする、これが人間の幸福なのではないか、と語っています。

●次回、アジャイル

様々なブルシットな状況を議論してきましたが、ことシステム開発のアジャイル開発の現場では、その精神性がブルシットの対極にあるように思われます。
アジャイルな仕事の仕方というものは、システム開発だけにとどまりません。総務部門でスクラムを導入しているという事例もあります。
なにより、企業そのものがアジリティを持って運用される必要があります。
次回は、脱ブルシットを目指し、アジャイルな仕事の仕方について議論します。

(ファシリテータ 熊野憲辰)

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