第3回デジタル座談会
テーマ『利用者(あなた)を幸せにするUX 〜みなさんの「不満」を聴かせてちょうだい~』
第3回デジタル座談会では、「IT清書機」問題 または、「不自由に気づかない問題」というテーマで議論しました。
●未だ紙ベースの設計
まずは、紙媒体をそのままIT化したような設計について。
このようなアプリケーションが未だにあります。紙はその紙自体で最適化された設計のものでした。それをそのまま移行したようなアプリケーションが未だに存在します。
また、エクセルで作成された書類やPDFなども、それを紙として印刷することを前提とした設計になってしまっています。
つまり、入口も出口も紙イメージの焼き直しIT。これが「IT清書機」というわけです。
他にもあります。銀行のATMなども理解に苦しむ情報が表示されます。
それは、曜日毎・時間帯毎・他行カードか自行カードかで決まる手数料の表示です。これが一種のチラシのような記載のされ方で、利用者に提示されています。
曜日・時間も・他行カードか自行カードかという区別も、利用時点で明確です。だから、その時点の手数料を表示することはできないものでしょうか?
また、未だに請求書に押印してPDF化して送付する作業が存在します。その取引先には、マイナンバーカードの情報を提示しているにも関わらず、です。
であれば、契約に基づいて支払いの案内を先方からもらってもいいはずですが、未だに請求書がないと業務が先に進まないようです。
もちろん、先方のIT部門の人とこのことを話すと、申し訳無さそうな反応が見られます。実態は、バックエンドの経理部門が紙(またはPDF)の請求書がないと業務が進まないためでしょう。
行政は更にひどいと思われます。紙がないと不安でしょうがないのか、大量のペーパーの提出を求められます。
人事関連の業務でも事例があります。
過去には人事評価関連の業務をエクセルシートベースで行っていました。このエクセルも使いにくいものでした。それは、セルの結合や分割、文字間に空白が挿入されているなどの、印刷前提の設計でありました。
それが、アプリケーション化したのですが、このエクセルイメージそのままのような設計だったりします。実際Webアプリケーションになったら印刷することはまずありません。しかしながら、印刷前提のUIになっています。
●偉くなると何もしなくなる
日本では、偉くなると何もしなくなるという現象があります。言い換えれば、何もしなくなることが偉くなることだということです。
歴史的にみても、将軍となりすべての権力を握ると何もしないことが一種の特権となります。結果、執権・老中・大老のような役職が発生し、実質的な権力を握り、将軍が傀儡となったりするわけです。
実際、雑務を部下に任せることは分かります。しかし、それが行き過ぎて何もしない、できないという状態に陥っているのではないでしょうか。
欧米では、このような状況ではないですね。部長ともなると評価も報酬も高いです。なぜならそれは仕事の実績ベースで、その地位を獲得したからです。おそらく、欧米のCIOは日本のそれと比べて収入が10倍くらい違うのではないでしょうか?
もちろん、その代わり競争は激しいのですが。
一つの転換点は、企業における電子メールの導入にありましたね。いままでは、雑務を部下に任すことが当たり前でしたが、電子メールは個人管理が基本ですから。そこで、一定自分で情報を処理するように変化はしましたが、その先の業務がペーパーベースのものなのはまだ変わっていません。
●ジョブ・ディスクリプション
日本はジョブ・ディスクリプション(仕事の定義)が曖昧です。だから評価も曖昧になります。勢い、労働時間や勤続年数の評価基準が残ってしまいます。
日本でジョブ型雇用を推進する動きはあります。しかしながら、先行すべきはジョブ・ディスクリプションです。
ジョブ・ディスクリプションが明確でないということは、仕事の領域・切り分けも曖昧ということですね。日本の仕事は、これが原因でシステマティックにできず、阿吽の呼吸で行われてしまっています。
●アプリケーションのあり方
画面やレポートなどのアプリケーションのあり方においては、1970年代から、プロトタイプを作成し利用者が実際に使ってみて評価する仕組みを、やっているところではやっていました。
BA(ビジネス・アナリシス)においても、アプリケーションをデザインするのはビジネス部門となっています。しかしながら、企業のビジネス部門がデザインできない。なぜなら、アプリケーションを操作する現場のオペレーターが、契約社員などのアウトソーサーだからです。
このようなアウトソーサーは、その業務に無駄があってもそれを効率化しようという動機にはつながりません。この仕組が良くないですね。
アプリケーションのあり方はゲームに学びたいところです。子供は説明書などなくてもゲームを自在に扱います。それは、そのようなUI/UXが実現できているからです。
アプリケーションのプロトタイプを作成して、利用者が使ってみるという手法は、いわゆるアジャイル開発にあたります。欧米においてのシステム開発はほぼアジャイルです。これも日本は遅れています。そこにはやはり、ベンダー任せという元凶が見てとれます。
●データの活用
計算機の導入が部分的であった過去において、取締役会・経営会議などで急な資料の作成を要求されることがありました。このとき、その情報がどこに存在するのかがわからず、それを探し出すのに苦労したことがあります。
現在では、それがコンピュータの中に格納されているのですが、それでも一次データ・その集約データなどが整理されておらず、資料作成に苦労することがあります。
取締役会・経営会議などで必要とされる情報は、経営に直結するものです。これらに即応できないのであれば由々しき問題です。
使いづらいアプリケーション、どこにあるか不明なデータ、ITリテラシ以前の問題として考え直さなければなりません。
しかしながら、一部の中小企業においては、このような由々しき状況を改善する動きがあります。そのような企業の経営者は、リアルタイム経営という言葉を使います。それがないと経営がおぼつかない、倒産する、更にはグローバルな競争力においても負けるという危機感を持っています。
更に、そのような場合、アプリケーションの自動生成、つまりノーコード開発のツールを使って俊敏性を高めようとしています。
●日本政府はどこにある?
政府や行政においても、そのサービスを受けるためのワンストップなサイトが存在しません。
「日本 政府」で検索すると、首相官邸のページがトップに出ます。このサイトでは、総理の一日やメッセージ、歴代内閣などが記載されています。
しかしながら、私が今、仕事を探したい・子育てについて支援を受けたい・税金の納付について知りたい、となれば各省庁を探し回らなければなりません。
これは、供給側の出したい情報を出しているだけで、国民の目線になっていないといえます。
対して、カナダ政府のHPは、トップで仕事・福祉・税金・入国審査などが整理されており、利用者のためのサイトとなっています。
思えば、このような状況は問題なので政府のワンストップサービスを実現する、という公約が過去に存在しました。それは、1999年の小渕内閣の頃です。結局未だにそれは実現していません。
一部の地方自治体においては、市民のためのワンストップサービスを実現しているところはあります。安曇野市などです。
もちろん、地方は人と自治体の距離が近いということはいえますが、国においてもできないはずはないですね。総理の一日よりも、暮らしに関する情報をトップに持ってきてほしいものです。
子供の出産から墓場まで、国民が必要とする情報がまとめること、これが利用者目線に立った仕組みです。
マイナンバーカードも同様ですね。マイナンバーは、国民のIDそのものです。マイナンバーカードで住民票が取得できるというよりも、住民票そのものとして活用できるはずです。そもそも、マイナンバーカードを導入するにあたり、どんな機能が欲しいか?どのように活用できれば嬉しいか、というようなアンケートを取ればいいだけです。
全ては、供給側の切り口で作成されているという共通点があります。利用者の視座に立ち、それをキュレーションしサービスを実現してく必要があると思われます。
以上、第3回デジタル座談会は、紙文化の問題から、政府・行政にまで話が膨らむ議論が展開されました。
(ファシリテータ 熊野憲辰)