第25話:褪せない着物の魅力

褪せない着物の魅力

2月26日(水曜日)の日中、日比谷ソフトウェアのプロジェクトマネージャーの前田は、催事で日本橋の直営店に来たという三上の誘いを受け、日本橋に出向いた。
直営店舗の一角にはステージが設けられ、来店客が着座する席が用意されていた。着物のスタイリストである女性の担当者が、来場者に着物のコーディネートや着付けの仕方について教えていた。来場者は30、40代の女性が多かったが、一部に男性も混じっていた。三上は、マーケティングを担当する企画部と連携して、Webサイトでの告知や、招待状を同封したダイレクトメールなどを用いてこの日に向けて集客をしてきたという。
「そういえば、いつも打ち合わせで、呉服の桐生の本社に行くと、その入り口に綺麗な結城紬があって。私は、着物のことはほとんど何も知らないんですけど」
「結城紬は、他の染物と違って、時間が経つごとに良くなっていくんです。染織品は、時間が経ち、何回も着て洗うと、劣化していくのが普通です。でも、結城紬は、何回も着て洗い張りを繰り返すことで着ごこち、手触り、光沢という魅力が増す特性を持っているんです」
「そうなんですか。面白いですね」
「といっても、どういう理由かは僕にもわからないんですけど。着物って不思議なんです」と三上は笑った。
イベントは無事終わり、会場の片付けも一段落した後で、三上は前田を直営店内にある喫茶スペースに誘った。
「お疲れ様でした。今日は、現場を見て欲しい、と思って前田さんを誘いました。忙しいところ来てくれて、ありがとう」
「いえ、こちらこそ貴重な機会を頂戴して嬉しかったです。着物に興味を持つ若い層のお客さんの楽しそうな表情が印象的でした」
前田は、三上に思い切って尋ねた。
「三上さん、CRMプロジェクトのことですが、なんとか現場の仕様変更をフリーズすることはできないでしょうか。このプロジェクトはこのままでは失敗に終わると思うの」
三上は前田に、言葉を選ぶように説明した。
「僕なりに状況を分析したのだけど、こんな風になってしまった原因はいくつかあって。一つは、うちの会社はそれなりの安定した会社で、いわゆる古参の連中が業務を取り仕切っていること。彼らはなかなか今までのやり方を変えようとしない、いや、変えたくないと言っている。それと、古い企業にはよくある縦割りの体質、これが今当社にとって必要な、社員一丸となっての改革の邪魔をしているんです」
「それはわかるけれど、この新しいCRM導入で、社長は組織風土も変えたいと思っているわけでしょう。というより、組織風土の改革があっての新システムですよね」
「組織風土は一夜にして変えられないよね。では、どうするか? やり方として、トップダウン、つまり社長の決断がある。ただ、その決意が社員一人ひとりの意識の改革にまで及ぶのかどうか。現場がある意味実権を握っている、うちの会社では特に。・・・そこでね、キックオフミーティングのこと、覚えていますか。社長が幹部や、プロジェクトのチームメンバーに企業改革の思いを熱く語っていました。大事なのは、それを幹部やプロジェクトの関係者だけでなく、すべての社員に伝えることだと思っています。でも社長はそこまでやる気はあるのか。あったとしても現場の抵抗に押し返されるかもしれない。それをさらに押し戻すにも、僕のような若い連中が根気よく古参を説得するとか、働きかけないといけないと思っています。外部コンサルの助言も効果的かもしれません」
「それ、いいですね。だって三上さんのような人が御社のこれからを担うのだから」
「・・・実は、佐々木課長は、あんな言い方をしているけど、それなりに悩んでいるようです。この間ちょっと飲みにいったら、企画部や販売部の担当者にはまったく当事者意識がない、なんでもかんでもシステム課のせいにするって、ぼやいていました。佐々木さんは『社長に、直に相談に行くしかないかな。ただ、それも社長の前で弱音を吐くことになるし、って』。それを聞いて僕は、社長メッセージの発信の場を設ける件について近々、佐々木さんに提案してみようと思っています」
真摯な表情で自分を見つめる三上を、前田はプロジェクトとは別に、一人の人間として興味を持った。三上が率直に話をしてくれたことが嬉しかった。
「佐々木課長と三上さん、そして、私の上司も含めて、冷静に一度話合う必要がありますよね。私たち、そう、戦友みたいなものです」
「戦友かあ。ははは、そうかもしれませんね。山を越えたら、ぜひみんなで打ち上げに行きましょう」と三上は言った。
「ええ、ぜひ!」と前田は笑顔を見せた。

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