第22話:一人娘の成長

一人娘の成長

 

リビングに行くと、雪枝が夕餉の支度をしていた。テーブルにいつもより多くの皿が並んでいた。
「さっき、希望から連絡があって、今日うちに来るからって」
希望は、26歳になる二人の娘である。
「なんか、あったのか」
「いえ、そうじゃないみたい。まとまった開発案件がちょうど一段落して、久しぶりに家でゆっくりしたいって。今日から3連休だからうちに3泊して、25日火曜日の朝、うちから直接、南青山の会社に出社するんだって」
「そうか」
「そういえば、あなた明日、大学時代の同窓会だったわね」
「ああ、そうだった。東京に行ってくるよ」
2020年初めに、ゼミのメンバーを中心とした同窓会の案内状が届き、佐々木は「出席」と書いて返信していた。
「懐かしいお友達と積もる話もあるでしょ。だから明日、私と希望も、夜は外でご飯食べてくるからよろしくね」
「ああ、どうぞごゆっくり」
家族3人での晩御飯の後、リビングで佐々木は、実家に顔を見せた娘と近況についてとりとめなく話をした。
希望は、南青山の根津美術館近くにオフィスを構える、20人ほどのITベンチャー企業に務めるエンジニアである。佐々木と同じIT畑ではあるが、随分毛色が違う会社だ。希望は、時に夜遅くまで残業することもしばしばだと妻から聞かされていたので、佐々木は娘の健康を案じていた。
「帰りがいつも遅い、って母さんから聞いたぞ。ちゃんと睡眠とっているのか?」
「まあ、それなりに、ね」
「希望、最近はどんな仕事をしてるんだ?」
「センサーから出力されるビッグデータを解析する案件かな。いわゆるIoT開発よ」
「最先端、って感じだな」
「そんなこと全然ないって。じみ〜な作業よ。・・・そうね、身近なところだと、重回帰分析を使った予測システムかな。観測対象を特徴付ける複数のデータをAIに学習させて、アルゴリズムの予測精度を高めるの。うちのシステムを使ってもらっているお客さんは、メーカーの工場や化学プラントなどの保守サービス、それから広告やマーケティング関係かな。ただ、各社から提供してもらった観測データに精度の低いものが混ざっているから、それを除去する事前準備が不可欠なの。特異な値が見つかったときに、本当に観測対象から得られたデータなのか、センサー機器やソフトウェアの不具合によってたまたま生じた異常値なのか、それとも、ほかの原因なのか見極めるわけ。そういうデータの裏付け調査はひたすら地道な作業ね」
「もっとキラキラしているのかと思った」
「表向きはね。それと、異なる相手先から入手したデータ、オープンデータも含むけどそれらの間の意味の整合性確認や名寄せ。そんな前工程で仕事の時間の半分以上、手を取られるわけ。時計を見ると終電間際とか、そんな感じ」
佐々木は、希望からひとしきり話を聞いた後、尋ねてみた。
「一般企業の情報システムの仕事、ってどう思う? 今の仕事とは、ジャンルが違うだろうけど」
「うーん、大企業は過去の古いシステムが足かせになって新技術の導入が進まない、という話は、業界の仲間から聞いたことあるわよ。ITベンダーに丸投げで自社の情報システム部門の技術力が低下しているらしいわね。お父さんの会社もそうなの?」
「大企業でないけど、情報システム担当が最近の技術についていけない。置いていかれているところは当たっているなぁ」
それを聞いて希望は、こう言った。
「ただ、ユーザーがテクノロジーの流行り廃りにこだわるのは大事ではない、と思うの。一般企業にとってITはあくまで道具。大事なのは、自分たちで主導して情報システムを定義すること、そしてテクノロジーに詳しいベンダーをマネジメントすること」
マネジメント、という希望の言葉が佐々木の心にひっかかった。たまたま今月(2020年2月)初旬に誘われて初めて参加した異業種交流セミナーで、似たフレーズを聞いていたからだ。
その異業種交流セミナーのテーマは、「ユーザー企業のIT部門における業務の勘所」であった。紹介された事例では、やってみてよかったこと、得られた教訓、ユーザー企業がイニシアティブをとることの重要さが強調されていた。佐々木の耳に残ったのは、要件定義を自分たちでできる限り精緻に表現すること、ユーザー企業側がベンダーとプロジェクトのマネジメントを先導すること、であった。挙げられた課題には思い当たる節がいくつもあった。
そのセミナーでは発表者の講演のあと、聴講者数人ごとでテーブルを囲み、30分程度意見を交わすというスタイルで進行した。ただ、佐々木は聴講後、「聞いた成功事例を真似て自らの職場で実行しても、そう簡単にうまくいかないのでは」という疑問を持っていた。テーブルディスカッションでは同様の意見を持つ人が他にもいた。その意見をめぐるテーブルでのやりとりは、佐々木にとって極めて刺激になった。
続く質疑応答で、佐々木は悩みの一つを発表者にぶつけてみた。「プロジェクトマネージャーは、ユーザー企業側から出さなくてはならないのか」と尋ねると、講師の回答は、「当然だ。マネジメント、デシジョンともにユーザー企業がイニシアティブをとらないと、ユーザーにとって満足度の高い情報システムは出来上がらない」と答えた。講師の回答は大いに参考になった。同時に、明日からとる行動にどのように落とし込むかなど、新たな疑問も生まれたセミナーだった。
考えている佐々木に、希望が怪訝そうに聞いた。
「どうしたの? 仕事順調じゃないの?」
「ああ。実は、開発中のITプロジェクトが暗礁に乗り上げてね・・・。なんとか立て直しを、と命じられたんだよ。だけど、どこから手をつけていいものやら、きっかけがつかめなくて」
「ふーん。企業の情報システムは難しい、って聞くけど。そういうものなの? 私はやったことがないから、うまくアドバイスはできないけど」
「システムの歴史そのものが複雑なんだよなぁ。過去から積み上げてきた機能が、幾層にも積み重なっているんだ」
「そっかぁ。でも、導入する基本はパッケージソフトウェアなんでしょ?」
「そうだよ。ただしカスタマイズするモジュールがたくさん」
「パッケージ導入するなら、それに合わせろ、って言うけど。でも、ユーザー企業の現場が抵抗する、ってホントなの」
「まさに、それ。今までの業務が回っているのだから、なぜ変えるんだ、って。情報システム課風情が口を出すな、と言わんばかりだよ」
「現場で行われている仕事や機能を、断捨離できればいいのにね」
「断捨離か」
佐々木は、言い得て妙、だと思った。いつまでも子供だと思っていた娘が、ずいぶんと大人になっていたことに親としていまさらながら気がついた。

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