第18話:露見したユーザーの不満

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第5章 苦渋の決断

 

 

露見したユーザーの不満

12月13日(金曜日)、予定通り進まないカスタマイズと並行して、完成したモジュールごとの単体テストが始まった。単体テストは、プログラムの機能を要件定義書に合わせて検証する、プログラマーあるいは、IT部門のテスト担当者によって通常実施されるフェーズである。
しかし、日比谷ソフトウェアの開発およびテストチームから不満の声が上がった。
「機能や見栄え、データ項目に関する仕様変更が頻繁に発生して、何度も開発と単体テストを行き来する状況が続いています。このままでは予定していた結合テストに着手できません」
12月17日(火曜日)。前田は進捗会議で、スケジュールはさらに遅延し始めていることを、佐々木チームに伝えた。
「何度も繰り返すようで、申し訳ないとは思いますが、実装工程に入る前にサインオフした要件を覆さず、確定してくださっていれば、今の混乱が起こらなかったはずです」
「そうは言っても、うちの社内にいろんな意見や要望があるのは、さすがにもうあなたもお察しですよね」と、佐々木は口ごもった。
「佐々木さん、今からでも遅くありません。ユーザー部門からの要求を締め切り、取りまとめて仕様をしっかり固めませんか?」
「情報システム課の一担当者に過ぎない私には、業務の人たちを抑えるだけの力がないんですよ。だいたい今から、要求をまとめるだけの時間はないでしょう。仮にまとめるとしても、2020年4月のサービスインに間に合わなくなります。前田さん。盛り込めない要件は、来期以降に持ち越しても構わない。バッファーを生かして、最小限の仕様を満たす形で、このまま開発とテストをなんとか完遂させてもらえませんか」。
そうしないと、社内で自分の立つ瀬がなくなる。佐々木は、そう言いたかったのだろうか。
前田は、加藤の承諾を得て、開発と単体テストの人員を増強することにした。加藤の部署からちょうど大きなプロジェクトを終了したばかりで手の空いた若手の2人がいた。彼らをプロジェクトに引き入れた。
呉服の桐生のプロジェクトマネージャーである佐々木が動かないのであれば、日比谷ソフトウェア側で今できる策を講じるしかない。本来、要件定義などの上流工程で生じた不備の辻褄を下流の工程で合わせようとすることはデスマーチの原因になる。
新しく投入されたメンバー2人は、システムの開発状況について一からレクチャーを受けた。状況を説明する前田のチームにも余裕はないが、ためらっていてもプロジェクトは前に進まない。時間をやりくりして、できるだけわかりやすく説明した。ただ、プロジェクトに関与がする人が多くなった分、情報伝達がスムーズにいかなくなり、打ち合わせの時間は長くなった。その中でも、開発およびテストチームはなんとか課せられたタスクをやり遂げた。
開発と結合テストは、年内に終わる予定を1カ月超過し、2020年1月に入ってようやく終了した。

年が明けた1月10日(金曜日)の進捗会議には、佐々木に加えて、業務部門間の調整役を任された業務管理課の三上が加わっていた。前田は、1月16日(木曜日)からユーザー受け入れテスト(UAT:User Acceptance Test)がスタートすることを、佐々木と三上に確かめた。そして、テストに協力する現場担当者のスケジュールの確定を、三上に依頼した。
UATでは、業務の様々な場面を想定したテストケースを準備する。その実行結果を画面上で確認し、エビデンスとしてハードコピーを取る。
だが、UATの状況は、惨憺たるものであった。初めて動く画面を目にした各部署の担当者は、最初は興味津々に画面の動きを追って前田の説明に聞き入っていた。しかし、各自がマウスを手に画面を操作しているうちに、苦情を言い始めた。
「この画面のレイアウト、今のと全然違うのだけど? こんなの頼んだ?」
「ここ、見づらくない? もうちょっとレイアウト変えたほうがいいじゃない?」
「あれ~~、これおかしくない?」
「カレンダー機能だけど、これは使いづらいよ」
次々に発せられる不満の声に、前田を含むチームメンバーは、仕様書と画面を行ったり来たりしながら、担当者に説明をした。ところが、なかなか納得は得られない。
チームのテスト担当者が業務ユーザーのコメントをログに残し、一覧化した。ログに記載された内容が、各種仕様書通りの機能が搭載されていないことによるプログラム側の不備やバグなのか、それとも、当初の仕様書に記載されていなかった機能の追加や変更によるものなのか、見極めるためである。
「これはバグでしょう?」「いいえ、これは仕様書に後から追加された内容に基づく、機能変更に基づくものです」「え、こちらの意図がうまく伝わっていなかったかな」。このような調子で佐々木と前田、両チームの確認作業は、なかなか収束しなかった。

開発・テストチームは、プロジェクト管理ツールを用いて、UATで行うテストケースの進捗を管理していた。30%程度進んだところで、前田は、加藤のもとを訪れた。1月31日(金曜日)のことである。
普段弱音を吐かない前田が、思いあまって相談をしてきたことで、加藤は、いよいよ自分が動かなければいけないことを認識した。加藤は、このプロジェクトを仕切り直すつもりだった。現在のプロジェクトを一旦中止し、プロジェクトのスコープやスケジュール、コスト、推進体制の全面的に見直した提案書をもとに、呉服の桐生と日比谷ソフトウェア双方が契約を結び直す、という筋書きである。
走り始めた開発をベンダー側の都合で中止するのは、日比谷ソフトウェアでも前例がなかった。当然、日比谷ソフトウェア社内の反発を受けるだろう。しかし、決断するのであれば、早い方が良い。仕切り直しは暴挙、と呉服の桐生からも非難を受けるだろうが、ズルズルとこのまま進めれば互いの傷は深まるばかりだ。開発中止を日比谷ソフトウェアの上層部に進言するのは、シニア・プロジェクトマネージャーである自分の役割、と考えた。加藤は前田チームと連携し、日比谷ソフトウェアの経営会議で判断を仰ぐため、社内向けの資料と、呉服の桐生に提出する再提案書作成の準備に取りかかった。

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